我が国においては、地方の衰退が声高に叫ばれる一方で、世界でも例を見ない程に東京一極集中が進んでいる。
当ページにおいては、その是非を論じていきたいと思うが、その是非を論じる前に、まず最初に東京一極集中がどれくらい凄まじいのかを簡単に述べていきたいと思う。
2021年4月1日現在で、東京都の人口は1406万人、神奈川県の人口は924万人、埼玉県の人口は734万人、千葉県の人口は628万人である。
そのうち東京都の人口のほぼ全て、神奈川県の人口の大多数、埼玉県の人口の大よそ、千葉県の人口のかなりが、東京都心への通勤圏と考えると、3000万人を遥かに超える人口が東京大都市圏に住んでいることになる。
この東京大都市圏は、先進国に限った都市圏の中においては、抜きん出た人口と言えるであろうし、先進国に限らず全世界の全ての国の中でも1位であると言われている。
市の人口だけで見れば、先進国の中でもニューヨークやロンドンなど800万人を超える都市もあり、900万人台の東京23区とそれほど大差はないし、先進国に限らず世界中の全ての国も入れれば東京23区よりも多くの人口を抱える都市は多くある。
しかし、先進国のニューヨークやロンドンに限らず、全世界の全ての都市であっても、周辺に東京ほどそれなりの人口を持つ市が多数集まっていないので、都市圏で考えると東京大都市圏は先進国の中では抜きん出て1位であり、先進国に限らず世界中の全ての国を入れても1位であろう。
そして、人口や産業の集積を考える場合、都市単位よりも都市圏単位で考える方が、明快で正確に集積度合いが分かるのは、誰の目にも明らかであろう。
我が国の場合、地方の衰退と対になっているのは、東京一極集中である。もっとも、もし東京一極集中によって日本経済全体が良くなっている、もしくは衰退の速度を遅らせているのであるならば、それは一般的には否定すべきことにはならないであろう。
↓
しかし、恐らく東京一極集中によって日本経済は衰退しているであろう。理由は、東京に全てが集中する一方で地方が弱体化すれば、地方は何をやっても東京には勝てないと考え、東京のやり方や考え方に従順になり過ぎ、自らの自主性を失うからである。
↓
その結果、色々な地方から発想が生まれることを阻害し、日本国内には多くの発想があるべきはずが、東京的思考の1つしか存在しなくなってしまっているのである。
↓
これは多様性の欠如である。多様性は生命が存続するために極めて重要なものである。よく経済は生き物に例えられるように、多様性がなければ経済も衰退するのではないであろうか。
↓
それなのに我が国は、東京に全てのものを集めて効率を高めることしか考えていないのである。しかし、多様性は効率よりも遥かに重要なのではないでしょうか。
↓
また、別の観点から見れば、全てのものが東京に集まることによって、東京も含めた全ての地方間における競争が阻害されてしまっているのである。東京に全く歯が立たない他の地方は、競争することを放棄し、東京に従属することを選ばざるを得ないのである。しかし多様性と同様、競争環境は効率よりも重要なのではないであろうか。
↓
多様性と競争環境という経済にとって極めて重要な両翼を剥ぎ取られれば、日本経済が衰退するのは明らかである。このような状態であるにも関わらず、日本国民は多様性と地域間における競争環境が、我が国にあると信じてしまっているのだから病根は深いと言わざるを得ない。
↓
そもそも東京一極集中や地方衰退の進行と、日本経済の低迷の進行が、同時的に起こっているからには、両者には関係があると考えるべきではないであろうか。確かに、高度成長期には東京などの大都市に人口が集中していっても、経済は順調に成長した。しかしそれは、他に経済を成長させる別の大きな要因があったということと、人口の集中がまだ一定限度を超えていなかったからではないでしょうか。しかし、その別の大きな要因がなくなり、人口の集中が一定限度を超えてしまったバブル期以降に、経済が低迷するのは明白だったのではないでしょうか。
↓
この我が国における東京一極集中が、自然に起こったのであれば、仕方がないかも知れない。しかし、恐らく意図的側面が強いのではないであろうか。我が国の戦後は、中央集権的思考が極めて強かったのではないであろうか。
↓
そう考えるのは、国に関係があるような機関や施設が、東京を中心とした関東に集まり過ぎているからである。筑波研究学園都市やJAXA(宇宙航空研究開発機構)は関東に置く必要があったのだろうか。
↓
ナショナルトレーニングセンターは2008年から供用開始されているが、その頃は東京一極集中が叫ばれて久しい。そんな時に、アスリートの訓練のためである当該施設が東京でなければならない理由など何処にもないはずだ。このような施設をそのような時期に東京につくったということが、中央集権的思考が極めて強い証拠である。
↓
国際戦略港湾として、京浜(東京港・横浜港・川崎港)と阪神(大阪港・神戸港)が指定されているが、東京一極集中が進行していることを考えると、阪神(大阪港・神戸港)と名古屋港を指定すべきだったのではないでしょうか。
↓
金融庁やNHKなども、大阪に移しても良いのではないでしょうか。天皇は京都に戻り、宮内庁も京都に移しても良いのではないでしょうか。
↓
どこに置いても構わない機関や施設を、不必要に東京及び東京近辺に集中して設置したと、ここで私が指摘してきたものは、ほんの一部分である。政府や省庁は東京への一極集中の是正を声に出しながら、このようなことを延々と続けてきたのである。このようなことをしていて東京一極集中が是正される訳がない。東京一極集中を叫びながら、実質的には東京一極集中を後押ししているのだから。
↓
ここまで全てのものを意図的に東京に集めてしまって、取り返しのつかないような東京一極集中を招いてしまったからには、もはや当然、地方税の仕組みについても変える必要があるだろう。と言うのは、今の仕組みでは必要以上に東京に地方税収が集まるようになっていて、不公平だからである。
↓
どのように不公平なのかを、順に見ていこう。まず、所得に応じて都道府県や市町村などに住民が支払う個人住民税であるが、東京都は地方に比べて所得が高いので、一人当たりの税額は高くなるであろう。しかし、高所得者であろうと低所得者であろうと、行政が住民に行うべきサービスは同等であるべきはずだ。このことからは、全国から集められた個人住民税を、一度ひとつの財布の中に入れ、それを人口に応じて比例配分するべきということが導き出されるはずだ。
↓
この考え方は地方消費税にも当てはまるだろう。現状の制度下では、高所得者であるほど消費が活発となり、支払う消費税額も増えて、高所得者の多い地方自治体は潤い、受けられるサービスも良くなることになる。しかし、所得に応じて受けられるサービスが異なるというのは、公共の福祉の概念に反するはずだ。
↓
次は、地方法人税と固定資産税・都市計画税です。恐らくこれらの税項目が、東京に多くの税収を集める強い要因であり、特に地方法人税は東京を税収上で極めて有利にしている、最たる要因であろう。
↓
確かに法人の数や、その法人の規模が大きくなれば、それに対応した行政の仕事も増えるかも知れない。また、固定資産税・都市計画税の額が増えても、行政の仕事が増えるかも知れない。しかし、それらの税収が増える量に比べて、行政の仕事が増える量は、極めて少ないであろう。従って、個人住民税や地方消費税と同じで、基本的には人口に応じて按分すべきであろう。
↓
但し仮に、法人の数や、その法人の規模が大きくなったり、固定資産税・都市計画税の額が増えることによって、行政の仕事が増えるのであれば、その増えた分については、増えた分量に応じて国が各地方自治体に交付金を出せば良いのではないのでしょうか。
↓
現在の制度のように、経済的基盤の弱い地方自治体により多く、国から交付金が出るようなシステムでは、その経済的基盤の弱い地方自治体は、常に国から恩情を受けている感じで、従って行政をなんとか運営できる最低限の交付金を受けることが出来るだけで、常にギリギリの運営を行うことを強要されてしまい、ジリ貧状態になってしまいます。しかし、税収を人口に応じて按分すれば、交付金を受けるのは東京を始めとする経済的基盤の強い自治体となり、それが解消されるのです。
↓
また東京には、国の機関などが集まることによって、会社等の様々なものが集まりやすくなっているという土台がある。しかし、この土台は東京が競争によって勝ち得たものではなく、単に国から与えられたものでしかない。そうであるならば、その土台によって繁栄しているであろうと思われる分は、国に返還もしくは地方に分配すべきであり、将来的にはその算定基準を考えていくべきであろう。もちろん、このような土台は、東京よりも遥かに少ないとしても、大阪や京都などにもあるかも知れないので、それが見逃すことが出来ない利益を生んでいるのならば、それらの都市についても考えていくべきであろう。
↓
このように、国及び国民は、国に関連しているものだから、或いは日本に一つだけのものだから東京近辺につくるという発想ではなく、そのようなものだから出来るだけ様々な地域につくるという発想を持たなければならないであろう。その上で国が行うべきことは、全国の地方自治体の収入の不公平を是正することではないであろうか。
このページの先頭へ戻る。
ホームへ行く。