生まれ変わり事例(シャンティ・デビの場合)

その他

前世をおぼえていると主張する人は大昔から数かぎりなくいるが、1935年にインドにあらわれた八歳の少女ほど説得力のあるケースはほかにないだろう。

デリー生まれの少女シャンティ・デビは、前世の記憶が立証された例として世界じゅうを驚かせた。

シャンティの話は大評判になり、少女は当時スターなみの有名人だった。北部インドの小さなマトゥラーの町にもどったときは、少女を一目見ようと一万人もの人がおしよせた。

そこは少女が前世で主婦として暮らし、子どもを産んで死んだ町だった。はじめて目にするはずのその町の通りを、少女は少しも迷うことなく、死んだ主婦ルグディ・デビの暮らした家へと歩いて行った。

ルグディの親戚に会ったシャンティは、まるでいつも顔を合わせている人たちのように彼らを見分け、挨拶をかわした。

そして家の床下の、死んだ主婦が金を隠していた場所を言い当てた。

ルグディの生活やマトゥラーの町にかんする少女の知識は調査委員会を納得させたし、すでに再婚していた夫はじめ、家族は両方ともシャンティがルグディの生まれ変わりであることを受け入れた。

イアン・スティーブンソン博士は、シャンティ・デビを第一級のケースだと言う。彼女が主張したことで嘘だと証明されたことは一つもなかった。

彼女の申し立てはルグディが暮らした実際の場所へつれて行かれる前に記録されていたし、同行した調査委員会の信頼できるメンバーが、その時点で彼女の主張を検証してもいる。

1988年の2月、私はシャンティ・デビから直接話を聴きたいと考えてデリーに飛んだ。しかし時すでに遅く、その2か月前にシャンティは亡くなっていた。61歳だった。私はシャンティ・デビの兄弟、ビレシ・ナラインから、お茶を飲みながら話を聴くことになった。

1935年当時、シャンティのケースは生まれ変わりを証明するものとして誰にも認められていたというわけではなかった。翌年バル・チャンド・ナハタがインド精神分析協会の意見としてヒンディー語で出した報告書では、調査委員会に心理学者が加わっていなかった点が問題にされている。

ナハタはシャンティに面会し、「おとなだった人間が生まれ変わったとは思えず、ただの子どもに見えた」と感想をのべ、生まれ変わりを証明するものは何もないとした。しかし彼はマトゥラーの町を歩きまわったときの驚くべき光景の目撃者には、話を聞く努力を一切していない。

その後、スシル・ボースによるより詳細な再調査が行われ、1939年に報告書が出された。ボースは主だった目撃者のすべてを探し出していた。

これらの資料から浮かんでくるものは、スティーブンソン博士の言葉どおり、隅から隅まで興味の尽きない転生の物語である。成熟した、母親でさえある女性の人生が、わずか8歳の少女の記憶に閉じ込められている。

そのうえシャンティは二つの人生の中間に経験したこと、つまりルグディとして死んだ瞬間からシャンティとして生まれ変わるまでのあいだに自分の身に起きたことも、ナハタとボースの二人に語っていたのである。

今日ならこの申し立てはまったく典型的な臨死体験と見なされるだろう。シャンティの話には、肉体を離れる感覚、明るい光が見えたこと、神のイメージの人物に出会ったことなど、臨死体験の主要な要素がすべてふくまれていた。しかし今から半世紀前のこのとき、臨死体験にかんする現在のような文献は書かれていない。ナハタもボースも当然ながら本気で受け取ることはできなかった。

ボースは調査に先立ってシャンティの父親のラング・バハドゥール・マトゥールに話を聞いており、そのもようが質疑応答のかたちで記録されている。シャンティの家はオールドデリー市チラカーナにある三階建て。まずは裕福な家庭といえた。

父親によれば、シャンティはほかの子どもより言葉が出るのが遅かった。またほかの子どもが喧嘩したり悪さをしたりしていても、彼女はいつもその場をうまくおさめたり、仲直りさせる役に回った。要するに「小さいおとな」のようなところがあった。

シャンティが前世について話をしはじめたのは3歳のときだった。食べることと服装のことが記憶を引き出すらしく、母親によくこう言った。「ママ、マトゥラーのおうちではこんなものは食べなかったわ」。マトゥラーで着ていた衣服のことや、家業は生地屋だったこと、黄色く塗った家だったことなども語った。

そういう話をたびたびしたが、両親は本気で考えようとはしなかった。「大きくなれば忘れるだろうと思っていました。でもとうとうそういう話を禁止したんです。というのも、私たちの宗派では前世の暮らしを正確にしゃべるような子どもは長生きしないといわれていたからです。しかし娘はマトゥラーに行きたい、行きたいとせがみつづけ、少しも言うことをききません。うちにみえた近所の人にまで訴えるしまつです」

親戚にデリーの高校教師がおり、シャンティの記憶の話を耳にして、当時8歳になっていた彼女に会いに来た。彼はシャンティにマトゥラーで夫だった人の名前を言わせようと考えた。彼女は「会えば、この人だってすぐにわかるわ」と答えた。

少女は夫の名前をなかなか口にしようとしなかった。ヒンドゥー教社会では、女はよほどの理由がないかぎり夫の名前を口にしてはならないとされているからだ。

そこで教師は奥の手を使った。名前を教えてくれたらマトゥラーへつれて行ってあげようというのだ。シャンティは教師の耳元へ「パンディット・ケデルナツ・チョウビーよ」とささやいたという。

シャンティの父親は、「私たち家族は、マトゥラーの家のことや夫のことをたずねようという気にはなれませんでした。ただひたすら娘が忘れてくれるようにと願っていただけです」と、ボースに語っている。

それからしばらくして、高校教師が、前世の記憶をもつ子どもに会いたいという大学学長のララ・キシャン・チャンドをつれて来た。シャンティはチャンドに、マトゥラーの家のようすを細かく説明し、夫だという人の名前と住所を紙に書いて手わたした。

チャンドは返事を期待していたわけではなかったが、ものはためしと教えられた所番地のパンディット・ケデルナツ・チョウビーに手紙を書いた。ところが誰もが仰天したことには、数日後、チョウビーから返事がきた。

それには自分の家についての少女の説明が「じつに正確」と書かれていた。

そのうえチョウビーは、デリーにいる従兄弟に、少女の家へ行き、彼女に会って話の真偽を確かめてきてほしいとたのんでいた。

やがて従兄弟のパンディット・カンジマルがシャンティに会いに来る。そして彼女に会ったとたん、「あなたはあの人の従兄弟の中で一番若い人ね」と言われた。

シャンティは彼に、子どもはどうしているかとたずね、マトゥラーの家のことやドゥワリカデシュ寺院の門前の生地屋のことなどを話した。カンジマルも質問し、少女の答に関心した。

マトゥラーの従兄弟に手紙を書くのももどかしく感じられたので、みずからマトゥラーへ駆けつけて、かつての妻のルグディ・デビが、誰かに生まれ変わっていたとチョウビーに報告した。

1935年11月12日、パンディット・ケデルナツ・チョウビーが、不安げなおももちで、かつての妻と主張する少女に会いにデリーにやって来た。

妻のわすれがたみで今ではシャンティより1歳年上の少年に成長したナバニタ・ラルと、再婚した妻をつれていた。

その3人とチョウビーの従兄弟がシャンティの家に着いたとき、シャンティは学校へ行っていたため、迎えにやらなければならなかった。

従兄弟はテストのつもりで、その家の家族に、チョウビーの兄をつれて来たと告げていた。学校から帰って来たシャンティもそう教えられた。

そのときのことを父親が語っている。「シャンティは恥ずかしそうにおじぎをして、そのまま隅のほうにつっ立っています。そのとき9歳になったばかりでした。娘のようすを見て、みんなが言いました、あの人はお前のご主人の兄さんなんだ、なんでそんなに恥ずかしそうにしているんだと。すると娘はおずおずと答えました、『あの人は兄さんなんかじゃないわ、うちの人よ。何度も話したでしょう』と」

シャンティは息子に会うと、抱きしめて長いあいだ泣いていた。そして彼のために自分のおもちゃを全部もって来てほしいと母親にたのんだ。しかし待ちきれなくなり、自分で走ってとりに行った。

父親の話はつづく。「シャンティは自分のおもちゃをありったけもって来ると、今は1歳年上になった息子にやりました。息子を見る彼女の顔は、母親そのものでした。眼にも顔にも母親らしいやさしさがあふれていました。誰が見ても、子どもの顔には見えなかったでしょう。一足飛びに中年女になってしまったかのようでした。息子に会ったうれしさといとおしさから彼女は涙を流しはじめ、しばらく泣きじゃくっていました。みんなもらい泣きしてしまいました」

この不思議な家族再会のニュースはたちまち町じゅうに知れわたったらしく、家のまわりには大勢の人が集まって来て、興味津々で中のようすをうかがいはじめた。

これには家族も閉口し、チョウビーの提案でタンガ(幌のない一頭立て小型二輪馬車)をやとってデリー市内へ出かけることにした。少し離れた場所に来たとき、シャンティと息子のナバニタは手をつないで歩いた。その日、一家はやじ馬がいなくなるまで家にもどらなかった。

シャンティは母親に食事のしたくをたのみ、チョウビーが好きだった食べ物をあれこれと解説した。またかつては自分のものだった装身具を、チョウビーの今の妻が身につけていることを指摘した。

食事が終わったとき、シャンティはチョウビーの妻に目をやり、彼に向って、「なぜこの人と結婚したの? もう結婚しないと約束したじゃないの」と責めた。

父親によると、チョウビーはしばらく首をたれていたが、やがて少女に質問した。「マトゥラーの家のようすを話してほしい。そうすればきみがほんとうにあそこで暮らしていたことが納得できるから」

「中庭に井戸があるの。いつもその井戸のそばの石に座って行水したわ」

「この子がきみの息子だと、どうしてわかったんだ? きみが死んだとき、この子はまだ生まれて9日しかたっていなかった。きみがこの子を見たのはたった一度のはずだ」

「この子は私の命よ。私の命が、私の命を見分けただけのことだわ」

確かにルグディ・デビは一人息子を産んで二週間以内に亡くなっていた。しかし少年を自分の子どもだと見分けることは、さほど難しいことではない。父親と一緒に来た子どもが、ほかの誰だというのだろう。それに明らかに「彼女の」息子の年格好なのだから。

チョウビーはさらにシャンティをテストした。二人きりで話をさせてほしいと言い、そのあと彼の結論を出した。「妻とぼく以外、誰も知らないはずの秘密の話があったんです。おかげでシャンティがぼくの死んだ妻だということがはっきりわかりました。もう疑いは完全に消えました」

さて、ここまでのところ、シャンティ・デビの物語はおおいに好奇心をそそるものの、多分に逸話的である。

シャンティは母親に、チョウビーの顔の左側にはほくろがあることや色白であること、読むときにメガネをかけることなど、いくつかのことを語っており、それが事実どおりだったことも分かった。

しかし証人はあくまでも身内の人間である。彼がチョウビーだとわかったのも、すでに集まっていた見物人に誰が来たかを教えられたのかもしれないし、顔のほくろでわかったのかもしれない。

また、おそらく彼女は彼を以前に見かけたことがあった。ナハタの調査によると、チョウビーはときどきデリーの菓子屋に来ており、そこで少女と出会っていた可能性があった。

しかし次の段階になると、シャンティ・デビのケースには何千人もの証人があらわれることになる。

デリーでの「再開」が新聞で書き立てられたため、彼女は一躍有名人になる。インド建国の父、マハトマ・ガンディーまでが彼女に質問をしに来て、「彼女の答におおいに満足した」と報じられた。少女は大衆の好奇心の的になった。

数日後には、デリーの最も優秀な信頼される市民15人を集めて調査委員会が組織され、メンバーにはデリーの新聞「ザ・テイジ」の編集長、国会議員、実業界の大物、高名な弁護士などが名をつらねた。

委員会はただちにシャンティと両親をマトゥラーにつれて行き、彼女が記憶していると主張する場所が実際に見分けられるかどうかをテストしようとした。

シャンティの父親は、最初この提案を拒否した。「私たちは怖くてしかたがありませんでした。マトゥラーへ行って夫や息子に会えば、娘はデリーに帰りたくなくなるでしょう。そんなことになったらどうしていいか。娘がパンディット・ケデルナツとその息子に強く気持ちをひかれていることも、見ていてとてもよくわかりましたから」

委員会はゆずらなかった。ついに1935年11月24日、チョウビーと出会ってから12日後、シャンティと両親と委員会全員が汽車でマトゥラーまで3時間の旅に出発した。

汽車の中で、委員会は少女が語ることをヒンディー語の会話体のままで記録している。たとえば「ドゥワリカデシュ寺院の門が閉まるのは11時よ」。彼女は「門」という意味で「ポット」という単語を使ったが、委員会の調査によれば、それはマトゥラーに住む人間しか使わない言葉だった。

列車が駅につく直前、メンバーの一人がシャンティにマトゥラーはまだまだ先だと言った。彼女は窓から見える道路や通りのようすから、マトゥラーの中心部はもうすぐそこだと答えた。

シャンティがマトゥラーに来ることはすでに新聞に書き立てられており、駅には彼女を一目見ようと何千人ものやじ馬が集まっていた。シャンティはその騒ぎにおびえてしまい、メンバーの一人で議員のデシバンドゥに抱きかかえられて駅に降りたった。

そのとき、報告書によると、「手に太いステッキをもち、頭に大きなターバンをまいた紳士がシャンティの前に歩み出て、自分が誰だかわかるかとたずねた。シャンティはその紳士を見ると、デシバンドゥに下へ降ろしてくれとたのんだ。そしてうやうやしい仕草で紳士の足にさわり、そのかたわらに立つと、デシバンドゥ・グプタに『この人は主人のお兄さんなんです』と小声で告げ、その場の人々を驚嘆させた」

駅を出たところでデシバンドゥはシャンティをタンガに乗せ、御者に彼女の言うとおりの方向へやってくれるように伝えた。シャンティは、道路が以前には舗装してなかったことや、新しい建物が建っていることなどを指摘した。

そしてある十字路に来ると、タンガを飛びおり、一行の先頭に立って家のほうへ案内していった。途中一人のバラモンの老人に会うと、丁寧な挨拶をして、「この人が義理のお父さんです」とその場の人々に紹介した。

報告書はこう伝えている。「彼女が来ることは近辺に知れわたっていたので、家の周囲の道は人でごったがえしていた。彼女が舅に挨拶するさまを目にすると、人々の唇から神の名がもれた」

シャンティは自分の家を指さした。デリーでは家は黄色だと言っていたが、その色は違う色だった。家は借家になり、塗りかえられていたのだ。ルグディが暮らしていたころは確かに黄色だった。

家の中に入ったシャンティは、ルグディの寝室はここ、衣服を入れておいた部屋はここ、と一行を案内してまわった。

「そのとき二人の風采のいい紳士が彼女を試したいと申し出て、『ジャジャリカーン』とは何だろうと彼女にたずねた。よその人間にとっては意味がない、マトゥラーのチョウビー家の人だけで通じる言葉だった。彼女が階下へ降りて行き、二人の紳士にその家の屋外便所を指さしてみせたときは、一同は大いに驚嘆した」

シャンティは群がる人々の中から25歳ぐらいの青年を見つけ出し、自分の弟だと言い、老人を見つけて舅の弟だと言った。

昼ごろ委員の一人が彼女に肩車をしてやり、彼女と夫がほとんどそこで暮らしていたという別宅へ向かった。ある小道のつきあたりまで来ると、彼女は肩車を降り、「ここが私の家よ」と言った。

中庭に出たとき、彼女は行水の水をくんだ井戸があったことを思い出した。だが見当たらない。「少女は不思議そうな、困ったような顔をした。中庭の片隅を足でとんとんと踏み、『ここだったのに』と言った。その場所にあった石の板をとりのぞいてみると、下に井戸があった」

さらに驚くことが起きた。寝室だという部屋へ行ったとき、彼女は「あちらこちら見まわしていたが、やがて床のある場所を指さし、『ここにお金を埋めてあるの。掘り起こしたら出てくるはずよ』と言った。

言われるとおり掘り返すと、石の下から箱があらわれた。しかし金は入っていなかった。

少女はしばらく言葉が出なかったが、やがて『私は確かにお金をここへ入れたのよ。誰かに盗まれたんだわ!』と強い口調で言った。

その場にいたチョウビーがこれを聞いて言った。『シャンティ、きみが前世で病院に入る前、確かにここに金を埋めて行った。でも君はもどって来なかった。病院で死んだんだ。きみが死んだあと、ぼくが箱から出したんだ』」。シャンティはこれを聞き、満足そうに見えたと報告書にはある。

いつも水浴びをしていたというジュムナ川のほうへ委員会を案内して行く途中、シャンティは突然立ちどまって一軒の家を指さし、自分の両親の家だったと言った。

「彼女が小走りに家に入って行くと、中には40人から45人くらいの人が集まっていた。男も女も老人も子どももいた。彼女はその中から母親を見つけ出し、その膝に座った。母親はさもいとしげに彼女を抱きしめると、声をあげて泣いた。彼女が父親を見つけると、父親もうれしさと切なさに泣き出した。その場の人々もみな眼に涙をため、前世など思い出さないほうが幸せだとささやき合った」

マトゥラー訪問の幕切れはさんざんなものだった。少女は婚家の経営している生地屋を見つけ出したが、一行がバザールにつくころには、彼女が町を歩きまわっているというニュースが野火のように広がっており、住民のほとんどが彼女を見物しにつめかけていた。

「大勢の男女が四方八方から彼女めがけて駆けよって来た。殺到する群衆に委員会のメンバーはばらばらに引き離されてしまい、なかには衣服をひきちぎられたものもあった。デシバンドゥ・グプタはやっとのことでシャンティをつれ出し、自動車に押しこんだ」

シャンティの両親は、群衆があまりに興奮しているのに恐れをなし、彼女をもう二、三日町に泊まらせてほしいというあちこちからの願いをことわって、早々に彼女を汽車に乗せた。デリーへの帰り道、少女は疲れて機嫌が悪かった。汽車が走り出してしばらくすると、ぐっすりと眠りこんだ。大騒動の1日はそうして終わった。

調査委員会は、生まれ変わりが証明されたと確信し、調査結果を公表した。またキリスト教徒やイスラム教徒などで、生まれ変わりの実在を信じない人々には、自分で少女に質問してみたり、代替の説明を提出するよう勧めたが、申し出たものはいなかった。

5年後、熱意の研究者ボースが、父親に率直な質問をぶつけている。「あなたやご家族の誰かが、彼女の前世の親類と知り合いだったとか、何かで関係があったとかいうことはありませんでしたか?」

「まったくありません。向こうの家のことは聞いたこともありませんでした。私はマトゥラーへ行ったこともありません」

ボースはマトゥラーで不思議な出来事の目撃者となった人々を探し出した。彼が話を聞いた人はすべて、委員会のメンバーも、通りや駅でシャンティに見分けられた人たちも、当時の記録に残された話を細かい点まですべてそのとおりだと保証した。

ボースは夫のチョウビーに会いに行き、単刀直入に切り出した。「あなたは亡くなった奥さんが、ほんとうにシャンティ・デビに生まれ変わったと思っておいでなんですね?」

「そうです。みじんも疑っていません」

チョウビーにそれほどの確信があるのは、最初にデリーを訪ねたとき、シャンティと秘密の話ができたせいなのか、それならぜひともその会話の内容を教えてほしいとボースは言った。「私はくだらない好奇心からこんなことをお願いするんじゃありません。科学者として真実を見つけたいという、ただそれだけです」

チョウビーは、「あの秘密の話については誰にも話したことがありません。今あなたにお話しするのがはじめてです」と言って話しはじめた。

午前一時ごろだった。シャンティの家族は寝てしまい、彼と少女と彼の妻と息子だけになった。息子は眠っていた。

シャンティに彼と死んだ妻しか知らないあることについて話してほしいとたのむと、シャンティはそれなら今の妻に部屋を出て行ってもらいたいという意味のことを言った。しかしチョウビーが今の妻の前で話してもかまわないはずだと言うと、少女は「それじゃ聞いていいわ、詳しく答えるから」と応じた。

チョウビーはルグディが骨の破片で足に裂傷をつくり、ひどい痛みを訴えていたときのことをおぼえているかとたずねた。ルグディは医者にかかっていたが、息子を妊娠したのはこの時分だった。「きみは立ち上がることもできなかった。尻でズルズル這いまわっていたほどだった。そんな状態でどうやって妊娠することができたのかいえるかい?」

チョウビーはボースに言った。「9歳の少女が私にやってみせたんです、そのときとった姿勢を。それで一切の疑いが消えたんです」

ボースはその報告書に、前の妻のことを話すとき、チョウビーの眼は涙でぬれていたと書いた。

デリーにもどったボースは、13歳になっていたシャンティ・デビに会う。シャンティは、前世の暮らしのことは「今でもまるで昨日起きたことのようにはっきりと」思い出すのだと彼に告げた。

ルグディがなぜ足に傷を負ったのかおぼえているかとたずねると。少女は、ルグディは熱心なヒンドゥー教徒だったと言い、定期的に詣でていた霊場の名を5つあげ、そのうちの一つのハリハピリで、聖堂のまわりを裸足で100回まわろうとしていたとき骨の破片を踏みつけた、そこから悪いばい菌が入ったのだと答えた。

前世で一番愛していたのは誰かとたずねると、「息子」と答えた。「死ぬときも息子のことを考えていたのかい?」。そんなことはなかったと彼女は言った。

それからボースはこうたずねた。ルグディとして死んだときから、シャンティとして生まれ変わるまでのあいだで、何かおぼえていることはないだろうか? シャンティの体験のほとんど知られていないこの側面は、今日の臨死体験の報告とぴったり一致する。1939年の時点では、これは画期的なインタビューだった。

ボース「死ぬときはどんな気分だったかおぼえているかい?」

シャンティ「ええ、おぼえているわ。もう死ぬっていうとき、あたりがまっ暗になったの。それからまぶしい光が見えた。それから私が蒸気みたいになって、自分の体から抜け出して、どんどん上にのぼっていったの。」

ボース「きみの死んだ体は見なかったのかい?」

シャンティ「見なかった。そっちのほうを見なかったから。」

ボース「苦しくはなかったかい?」

シャンティ「少しも苦しくなかった。ただすうっと意識がなくなって、その瞬間に、すごく明るい光が見えたの。」

ボース「それからどうなったの?」

シャンティ「サフラン色のローブを着た4人の人が、私のほうに向かって来たわ。みんな顔も服もおんなじみたいだった。4人とも10代の人みたいで、顔も体も着ているものも、みんなすごく明るいの。しばらく行くと、とてもきれいな庭があった。あんなきれいなところは、この世では見たことがないわ。とても言葉では言えないのよ。川も見えたわ。」

肉体を離れたときは、自分が親指くらいの大きさになったように感じたとシャンティは言った。4人が自分を四角い、25センチ四方くらいのカップのようなものに入れて運んでいった。そして「最初の段階」のところへ来たが、まだ高い段階がいくつもあった。

死んで天使になった男女にも会った。いく人かはとりわけ赤るく輝いて見えた。その人たちに、魂には区別はない。イスラム教徒でもクリスチャンでもヒンドゥー教徒でも同じだと告げられた。

時間の感覚もなかったし、太陽や月もなく、夜や闇もなかった。「あたりじゅうすごく明るかった。光でいっぱいだった。とてもやさしい光で、満月のときみたいだった。それなのに、いつもお昼なの。すごくやさしくて、心が静かになって、力がわいてくるような光だった」

やがて彼女はもう帰らなければならないと告げられる。そしてデリーで女の赤ん坊として生まれ変わるのだと。父親の名前と住所も告げられた。

それから暗い、何か嫌なにおいのする部屋へつれて行かれ、そのあと清潔な場所に寝かされた。再誕生へと下っていく通路は、ちょうど死から明るい光に向かってのぼっていったときのように明るかったと言う。

冷静なボースもこれには懐疑的になり、つぎの質問はほとんど独白調になった。「見ることも、聞くことも、においを感じることも、われわれはすべて感覚器官をとおしてやっている。もしも眼がつぶれれば、もう二度とみることはできないだろう・・・・・思考は脳があるからこそできる・・・・・ところがきみはガスみたいなものになって肉体を出ていったと言った。脳も感覚器官も体においてきたわけだ。それなのに考えたり、見たり、においを感じたりできたという。いったいそんなことが可能なんだろうか?」

シャンティ「可能かどうかなんて私にはわからない。私はただそういう経験をしたって言っているだけだもの。」

ボース「感覚器官をとおして感じるときと、それなしで感じるときとでは、何か違いがあるんだろうか?」

シャンティ「ぜんぜん違う。感覚器官がないと感覚はすごく鋭くなるの。たとえばふつうに眼で見るときは、壁の向こう側にあるものは見えないでしょう。でも体や眼がないときは、それが見えるのよ。眼の力がものすごく鋭くなって、壁を通り抜けて、向こう側まで見えてしまうのよ。ほかの感覚もみんなそうなの。」

少女はまわりの人々に、一度はルグディ・デビとして暮らした身として、もう結婚はしたくないと語っていた。数年前、60代のはじめに亡くなったときもまだ独身だった。

兄弟に聞いたところでは最後まで、かつてルグディとして生きたことを疑っていなかった。「前の家族」とはつねに連絡があり、誰かの誕生日や結婚式や葬式などというときは、必ず大切な客として招かれていた。

死の数日前、彼女は兄弟に、今度は生まれ変わらなくてもいいだろう、きっと大丈夫だと思うと告げた。生涯のほとんどを教師として暮らした彼女の葬式には、マトゥラーのバザールにつめかけた何千人もの群衆には遠くおよばなかったものの、数百人の友人知人が集まって死を悼んだという。

引用 死後の生 ジェフリー・アイバーソン著

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