私(レイモンド・ムーディ)は家の納戸を、霊と出会うための小部屋に改装した。
その壁の一つには鏡がかかっている。私が部屋の中央の椅子に座ったとき、自分の前にその鏡が見えるが、自分の姿が映らない程度の少し高い位置に鏡がかかっている。
つまり自分の前に見えるのは、鏡の中に映る背後の壁のみである。また、明るすぎない部屋とするために、電球は25ワット程度の小さいものにした。こうした単純な部屋で、霊と交信するための最初の実験をおこなった。
私はとくに、亡き祖母のワドゥルトンに会いたかった。母方の祖母である。
実験の準備として、私はまずたっぷりとウォーキングをした。そののち炭水化物の多い朝食をとった。これは血液中の神経伝達物質セロトニンを増やすためである。そののち日中の多くを、祖母の写真アルバムを見ながら、その優しく素晴らしい思い出にふけって過ごす。
それから鏡の部屋に入る。私はその薄明りの部屋に座った。前にある澄んだ鏡面の中に、3次元の深みある世界が広がっていた。ちょうど、渓谷の深く澄んだ湖面の中をのぞき込むような感じだ。
私は1時間かそれ以上、鏡の中を見ていた。亡き祖母ワドゥルトンのことを思いながら、また日中アルバムを通して見ていた光景を思い起こしながら、のぞき込んでいた。しかし2時間ほどその努力をしたにもかかわらず、愛する祖母は現われなかった。
どこが間違っていたのだろうか?そう自問しながら部屋を去った。私は1階の居間におりていった。たそがれ時だ。それまでスクライングの実験をしてきた私は、疲れ果てていた。私はソファに身を投げ出し、頭の中は空だった。
すると突然、女性が部屋の中に入ってきたのである!
よく見ると、それは私の母方の祖母ワドゥルトンではなく、父方の祖母ムーディだった。ムーディおばあちゃんのほうが、数年早く亡くなっていた。私は驚いて両手を顔に当て
「おばあちゃん!」
と叫んだ。私は畏怖にとらわれていた。
というのは、私は母方の祖母に会いたいと思っていた。彼女の記憶はすべて楽しいものだったからだ。しかし父方の祖母の場合は少し違っていた。父方の祖母の記憶に、楽しいものはほとんどなかったのである。正直、ほとんどが不快なものだった。
私は彼女が私の父と議論していた姿を、いつも見ていた。また、幼い私がきたない言葉を口にすれば、彼女は私の口の中を石鹸で洗った。さらに、飛行機に乗ったときは、「地獄行きよ」と彼女が言ったのを覚えている。父方の祖母の記憶は、きつい表情のものばかりだった。
ところが、そうした私の記憶とは全く対照的に、目の前にいる祖母は優しく微笑んでいるではないか。祖母と私は会話した。祖母の声は、生前の声より大きくはっきりしていて、私の耳に一語一語明瞭に入ってきた。
私たちは会話できたし、祖母の声も聞こえたが、不思議なことに、その言葉を聞くより前に祖母の話そうとしていることがわかった。つまり言葉以前に、心と心で会話していたのである。心霊的な会話だったといってもいい。
祖母の姿は半透明の幽霊というのではなく、生身の人間と同じだった。しかし、彼女は死んだときより若かった。私が知っていた祖母の姿より若かったほどである。それでも祖母とわかった。もし今でも街で彼女を見かけたらわかるだろう。彼女は父方の祖母だと。
祖母と私は家族のことを話した。彼女は、私の知らなかった家族の秘密をも教えてくれた。その秘密を聞いて、私はハッとし、幼少時代の謎が解けた。
その秘密がどういうものだったか、詳細は本書には書かないが、それは私の人生にずっとつきまとってきた問題の幾つかを、よく説明してくれるものだった。祖母から聞いた話は、私に一種の安心を与えてくれたのである。
祖母と私がどれほどの時間話していたかはわからない。数時間のようにも思え、数秒だったようにも思える。しかし、どれほどの時間だったとしても、会話は私に満足感を与えた。
会話を通して、父方の祖母である彼女に対する私の印象が全く変わってしまったほどである。彼女をこわいとか、嫌いと思うことは、もはやなくなった。
いろいろ話したあと、会話の終わりに、祖母は「また会おうね」と言った。私は「会いたいです」と言い、立って、祖母を抱きしめようとした。しかし彼女は、それはダメよという感じで、拒む仕草をした。私は再度、抱きしめようとした。やはりダメだった。
そのとき私は、祖母の体が薄い光の膜におおわれていることに気づいた。それは周囲の物と彼女を区別していて、もしそれがなければ、彼女は全く普通の生きている人間に見えたことだろう。
私は水を飲みたくなり、少し部屋を出た。しかし戻ったとき、祖母の姿はもうなかった。
これらの現象をどう理解したらよいのか。私(レイモンド・ムーディ)は様々な面から学ぶようになった。とくに古代ギリシア人の研究は約に立った。彼らはギリシア中に、鏡の部屋をつくったのである。そして文字通り多くの人がその鏡の部屋に来て、亡霊の手助けを得ようとした。
なぜそんなことをしたのか?
一番の理由は、悲しみをいやす精神療法のためだった。たとえ5分でもいいから、亡き愛する人と再会したいという、人間の普遍的願望を彼ら古代人も持っていたからだ。
もし古代ギリシア人のその鏡の部屋の技法を、現代によみがえらせることができるなら、私たちは人間の悲しみをいやす優れた精神療法を手に入れられるかもしれない。
~中略~
ムーディ博士は、10人の被験者を対象に、この鏡視を実験してみた。被験者の中で実際に故人を見たという人は、いても、一人か二人程度ではないだろうかと思っていたそうだ。また故人を見た人がいても、自分の見たものが現実かどうか、あとで疑うことがあるかもしれないと心配したそうだ。
ところが、その想像ははずれ、心配も無用だった。この開拓的な実験に加わった被験者10人のうち、5人までもが、亡き親族の霊を見たと語ったそうだ。5人はいずれも、自分の前に本当に亡き愛する人が現われ、その故人と会話したと語ったそうだ。
~中略~
東海岸のある外科医は、亡き母に会いたいと言って実験に参加した。彼によれば、自分の成功は母のおかげであり、母に感謝したいとのことだった。彼女は鏡に現われた。母はソファに座った姿だったという。母と彼は、声を介さない会話を交わした。心と心で会話したのである。
彼が母に
「死んだときは痛かった?」
と聞くと、
「全然。移行はスムーズだったわ」
と母は答えた。彼は続ける。
「僕が婚約した女性についてどう思う?」
「いいと思うわ。一生懸命働いて彼女を大切にするのよ。成長して、人を理解する人になってね」
こうした思いが、声を介さずに伝わってきた。外科医が出した10ほどの質問に答えたあと、母はやがて見えなくなった。その時間は彼にとって決して忘れられないものとなったという。
彼はそのとき、かつて話に聞いたことはあっても本当には信じたことのない霊的な領域に、自分が入り込んだと語っている。
~中略~
私はまた、かつての古代ギリシア神殿の託宣の生きた役割をも、はっきり理解することができた。ソクラテスを歴史上最大の賢者としたのも、デルフォイ神殿での託宣だった。託宣を受けてソクラテスは、哲学に一生をかけるようになったのである。
ピタゴラスの学校も、託宣をもとに造られた。他の賢者たちの学校もそうだった。これらの学校は、生徒たちが自分の精神を探求するところであり、スクライングもできるところだった。
ギリシア文明において、このようにスクライングが大きな役割を果たしたにもかかわらず、詳しいことは20世紀末になるまであまり知られていなかった。
『ギリシャ人と非理性』(邦訳はみすず書房)を著したE・R・ドッズのような歴史学者によれば、当時、スクライングは洞窟において死者を呼びだす形でおこなわれていたという。
しかしどのようにして、またなぜおこなわれていたかはわからなかった。けれども1980年代の中頃、すべてが変わった。
考古学者ソティリオス・ダカリスの調査により、最も有名な死者の託宣所について詳しいことがわかったのである。
彼は本の中に、松明を灯りとする地下の託宣所に通ずる暗い通路、トンネルをたくさん発見したと書いている。彼とそのチームが発見したある託宣所には、銅製の大釜があり、人々はそこから湧き上がる蒸気の中を見入って、亡き人々に出会うようになっていたという。
古代ギリシア人がパピルスの巻き物に書いた魔術に関する文がある。これはギリシア語で記され、エジプトで発見されたが、魔術の技法に関するものだった。それを読むと古代人が、敵への対処法から人生で愛を見つけることに至るまで、魔術による問題解決の方法を探求していたのがわかる。
そしてもちろん、愛する亡き人々との交信もそれに含まれていた。
その技法として、たとえばまず釜に水を満たし、そこにオリーブ油をたらして水面にオリーブ油の層をつくれ、とある。さらに釜の周囲を何本かのロウソクで囲み、所定のまじないの言葉を唱える(言葉自体は無意味な内容だが、頭の中を空にするために唱えた)。そうやって亡き人々の現れを待つ。
こうした死者との出会いの場は託宣所あるいは「サイコマンテウム」と呼ばれた。
私がつくった現代のサイコマンテウムも、この古代ギリシアのサイコマンテウムを参考にし、新たにつくり出したものである。
~後略~
その後もムーディー博士は実験を続け、次のような結果を述べている。
被験者たちの報告によれば、約半数の人々は、鏡から現われた故人と会話できたという。また故人を見たという被験者のうち約15%は、故人の声も聞くことができたと語っている。それは単に心に考えが伝わってきたというのではなく、実際に故人の声が聞こえたと。
さらに、鏡の部屋では何も起きなかったが、あとになって故人を見ることができたという人々もいる。つまり故人を見る経験の「持ち帰り」である。だいたい25%の被験者が、鏡の部屋ののち家やホテルに帰ってから、故人を見たと述べている。
会いたいと望んでいた個人ではない死者に出会った、という被験者も多かった。だいたい4分の1程度の人が、予期しない死者に会ったと言った。ときには、まるで予期しない死者だった。
また、現われた霊は、鏡の中にとどまっているのではなく、そこから出て被験者のそばにやって来ることもあったという。その場合、出てきた霊に「触れられた」、また霊の存在を身近に感じることができた、と報告する人々もいた。
引用 生きる/死ぬその境界はなかった レイモンド・ムーディ ポール・ペリー著
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