高校野球史上最強チーム

野球

高校野球における歴代最強チームを考えてみる。

歴代最強チームを考えるにあたり、参考とするのは勿論、春の選抜高校野球と夏の選手権大会という甲子園で行われる両大会となる。

しかし、実際的には春から夏にかけて各チームが大きく成長することを考えると、夏の選手権大会で最も強くて安定した戦い方が出来たチームを最強とすることになるであろう。

何をもって最強とするかの基準は、人によって様々であろうかと思われるが、ここにおいては以下のことを基準にしたいと思う。

まず第一に考えたいのは、相手がどのような形態のチームであっても、安定して勝ち抜く柔軟性を備えていたかということである。

ある相手に対しては圧倒的な力で勝つことができても、相手が変われば苦戦を強いられることが多いようなチームであっては、チーム力の不安定性は隠しきれないからである。

また実際に、そのようなチームでは、足元をすくわれる可能性が高く、たとえ結果としては甲子園大会で優勝していたとしても、もし仮にもう一度戦ったとしたら、負けてもおかしくはないという印象を持ってしまうと思われるからである。

次に考慮すべきとなるのは、やはり純粋に戦力についてとなるであろう。大会屈指の投手がいたのか、ハイレベルの投手が複数いたのか、全体の打撃力はどうだったのか、守備や小技などに隙はなかったのかということなどである。

それらが充実しているチームであれば、相手に大勝することも多くなると思われるが、それも1つの参考となるであろう。また、将来プロに行った選手が何人いたかや、その後プロで活躍したかなどについても大きな参考材料となるであろう。

そして、最後に当然のことではあるのだが、以下のことについても考慮しなければならないであろう。

それは、時と共に野球は進化するものであり、時代が新しくなるに従ってチームが強くなるのは当然であるからには、単純に強さだけで歴代最強チームを選ぼうとすれば、時代の新しいチームが歴代最強チームに選ばれる可能性が極めて高くなるが、それで良いのかということである。

横浜高校の松坂投手が出る前くらいまでは、140キロの速球を投げれば超高校級と言われていたが、現在の2020年では少なくとも150キロ近くは投げないと超高校級とは言われない。

昔の投手の球種は、ストレートとカーブの2種類くらいであったが、今では球種は格段に多くなっている。

打者について考えてみても、時代を重ねるに従って強いスイングができるように確実になってきている。

守備に関しても同様で、どんどん上手くなってきている。このことを考えると、新しい時代のチームほど強くなるのは当たり前である。

これは高校野球に限ったことではなく、プロ野球でも同様であるし、全てのスポーツでも同様であるし、スポーツ以外の分野でも同様である場合が多い。

このように単純に強さだけで最強チームを決めようとしたならば、比較的に最近の時代のチームが最強ということになってしまうが、そのようになることは避けねばならないはずである。

なぜなら、新しい時代のチームほど技術力や体力や理論や練習方法等が向上して強くなるのは、過去のチームが試行錯誤して強くなろうと努力した結果の産物を踏襲することが可能なため、それから更に進化することに挑戦することが出来たからである。

つまり、新しい時代のチームほど強くなるのは、それまでの過去の時代のチームの人々の肩の上に乗ることが出来たからであって、純粋に自分の力だけで過去のチームよりも強くなった訳ではないからである。

このことを考慮に入れると、時代の異なるチームを比較して、どちらの戦力が優れているかを単純に比較することによって歴代最強チームを決めるのは明らかな誤りであるはずだ。

正しい歴代最強チームの決め方は、それぞれの時代における大会で、どれだけ安定して勝ってきたかや、どれだけ圧倒的な力で勝ってきたかを、比較することによって決めなければならないはずである。

例を用いて説明するならば、実際に対戦することは勿論不可能なのだが、30年前に優勝したチームが、今年優勝したチームと対戦したならば、まず勝つことは出来ないはずである。30年の間に技術力等は格段に進歩しているからである。

しかし、その30年前に優勝したチームが、歴代における全ての優勝チームの中で、最も圧倒的かつ安定的に優勝したのであるならば、その30年前に優勝したチームが歴代最強チームになるということである。

簡単に言うと、毎年積み重ねられてきた各々の大会の中で、最も抜きん出た力でもって優勝したチームを歴代最強と呼ぶべきであるということである。

以下において、この基準に従って歴代最強チームを順位付けしていくが、その対象となるのは、1977年(選抜優勝校が箕島、夏の選手権優勝校が東洋大姫路)以降となることにご理解を頂きたい。

理由は、私が高校野球を分析できる程度に見始めたのが、その年以降だからです。当記事を書いている私がしっかりと見ていないで、言い伝えを聞いただけで評価しても、あまり意味のあることにはならないと考えるからです。

野球の最強都道府県はどこかを知りたい方はこちらへ。

甲子園(春・夏)の歴代優勝校を見たい方はこちらへ。

第一位:PL学園(1987年春夏連覇 立浪・野村等のチーム)

多くの人が、松坂投手を擁して春夏連覇した時の横浜高校を第一位に予想したのではないであろうか。

確かに当時の横浜高校は強いチームであり、歴代最強チームの候補の1つではあるが、夏の選手権大会準々決勝のPL学園戦と準決勝の明徳義塾戦は大苦戦をしている。

この事実は、冒頭に記した何をもって最強とするかの基準の、安定して勝ち抜いたかという点においても、大勝の試合が多かったかという点においても大きなマイナス材料となる。

また準決勝の明徳義塾戦で大苦戦した理由は、松坂投手と控えの投手との力量差が大きかったからと思われ、ハイレベルの投手が複数いなかったという点においてもマイナス評価となるであろう。

また更に、この時の横浜高校は攻撃力も素晴らしいものがあったが、他の歴代の優勝チームと比較したならばどうかというと、攻撃力においては並程度にしかランクすることは出来ないと思われる。

それに対して、この時のPL学園は、夏の選手権大会で全6試合を戦って苦戦したと思われる試合が一試合もない。

スコアだけを見ると、現在の優勝チームのような大量得点で勝っている訳ではないが、当時は30年以上前であり、現在に比べて格段に得点するのが難しかった時代背景を考えると、かなり強い勝ち方で全試合を勝ち抜いていると言えるであろう。

投手陣の質の良さと層の厚さ・打線の繋がりと長打力・守備力・小技等々、どれをとっても当時においては超一級であり、全く隙がないチームと言えるであろう。

また、この年のチームからは多くの選手がプロに入り、しかも多くの選手が立派な成績を残しており、このようなチームは、この歴代最強チームの選考の対象となる1977年以降においては見当たらない。

この年のPL学園からプロに行った選手は以下の通りである。

・立浪和義【中日1位指名 通算2480安打 新人王 ベストナイン2回など】

・片岡篤司【同志社大学―日本ハム2位指名 通算1425安打 ベストナイン2回など】

・野村弘樹【横浜大洋3位指名 通算101勝 最多勝1回など】

・橋本清【巨人1位指名 セットアッパーとして活躍】

・宮本慎也【当時2年 同志社大学―プリンスホテル―ヤクルト2位指名 通算2133安打 ゴールデングラブ賞10回など】

通算2000本安打を達成した選手が2人もいる上、投手にもプロに入り活躍した選手が2人いる。

また投手に関しては、プロには行ってませんが3番手として岩崎投手という力のある投手がいて、現在ならまだしも、1987年当時にこれだけレベルの高い投手が3人もいることは別格の感があり、投打の安定感と層の厚さは抜群である。

第二位:PL学園(1983年夏優勝 桑田・清原が一年生のときのチーム)

第二位もPL学園である。

桑田・清原が一年生のときのチームで、多くの方が深く記憶に留めていないと思われ、そのときのチームがそんなに強かったのかと考える人が多いのではないであろうか。

このときのチームがどのようなチームだったかを思い起こしてもらうために、夏春夏の3期連続優勝を目指し、当時は圧倒的優勝候補の筆頭だった池田高校を準決勝で完膚なきまでに叩きのめしたチームであったと説明すれば、思い起こしてもらえる方も多いのではないかと思います。

このチームの強さも、甲子園での他を寄せ付けない強い勝ち方と安定感に表れている。

1983年と随分昔であり、現在と比べると格段にロースコアの試合が多いなかで、全体として安定して当時としては高い得点を上げ続けて勝っている。

また、甲子園大会におけるチーム本塁打数も8本で大会新記録であったことを考えると、打線の破壊力も抜群であったことは明らかである。

次に投手力であるが、当時1年生の桑田と3年生の藤本という2人の投手を擁していた。

実際に桑田は1年生のときが最も安定していたことを考えると、この大会のときが高校3年間の中で最高であったと言えるであろう。

また、藤本投手もかなり力量のある投手で、この当時の時代において、これだけ力のある投手が2人いることも滅多にないことを考えると、投手力も抜群であったことが伺える。

そして、このチームは初戦から決勝戦まで相対的にかなり強いチームとばかり対戦してきているにも関わらず、比較的に楽々と勝ってきていることからも、チームの強さが伺えるのです。

準決勝の池田戦を筆頭に、1回戦の所沢商・3回戦の東海大一・準々決勝の高知商・決勝の横浜商と、初戦から決勝まで全体的に相当に力量のあるチームとばかり戦っている。

準々決勝の高知商戦では、10対9と接戦にはなっているが、この試合において桑田投手が投球の際、地面に右手を突っ込み、中指と薬指を軽く突き指していたことを考えると、このチームの評価を落とす材料にはならないであろう。

更に、この年のチームからも後に4人の選手がプロに入り、その点からもポテンシャルの強さが伺える。この年のPL学園からプロに行った選手は以下の通りである。

桑田真澄【当時1年 巨人1位指名 通算173勝 沢村栄治賞1回 最優秀選手1回など】

清原和博【当時1年 西武1位指名(6球団競合) 通算2122安打 通算525本塁打 新人王 ベストナイン3回など】

加藤正樹【早稲田大学―近鉄(ドラフト外)】

山中勝己【明治大―中日(ドラフト外)】

第三位:大阪桐蔭(2018年春夏連覇・2017年春優勝 根尾・藤原等のチーム)

第三位は大阪桐蔭である。

2017年の春に優勝したあと、主力が大きく変わらない状態で翌2018年に春夏連覇をしていることを考えると、このチームは2年間で3度の甲子園優勝をしていることになるが、そのようなチームは、この歴代最強チームの選考の対象となる1977年以降においては見当たらないし、もしかしたら甲子園大会の全歴史の中でも見当たらないのではないであろうか。

また、このチームの最後の甲子園優勝となる2018年夏は全6試合を戦っているが、特段に苦戦をしたと思われる試合が1試合もなく、その安定した戦いぶりも評価に値するであろう。

この安定した戦いぶりを可能としたものは、エースの柿木をはじめ、控えにも根尾や横川などの力のある投手が控えていた層の厚い投手力と、打線に関しても根尾や藤原などの超高校級の打者を中心に好打者が揃っており、投打のバランスがかなり良かったからであろう。

そしてまた、この年の大阪桐蔭からも多くの選手がプロに入っている。この年の大阪桐蔭からプロに行った選手は以下の通りである。

藤原恭大【ロッテ1位指名(3球団競合)】

根尾昂【中日1位指名(4球団競合)】

柿木蓮【日本ハム5位指名】

横川凱【巨人4位指名】

第四位:横浜(1998年春夏連覇 松坂等のチーム)

多くの人が歴代最強と考えるチームである。甲子園での春夏連覇を始め、明治神宮大会と国体でも優勝しており、四冠を達成しています。言うまでもなく松坂投手の投球は同世代の中で超越していました。

また、このチームは失策が少なく守備力も抜群でした。このチームは歴代最強チーム候補の一位にしても良いくらいなチームなのですが、そうしなかったのは下記の理由からです。

まず言えるのは、甲子園での勝ち上がりを見ると、大苦戦の試合も多く、決して安定して勝っているとは言えないからです。

また、控え投手が強くないこともマイナス評価としました。そして、打力も強かったとはいえ、飛び抜けたものがあるとは言えないからです。

とは言え、この年の横浜高校からも多くの選手がプロに入っています。この年の横浜高校からプロに行った選手は以下の通りである。

松坂大輔【西武1位指名(3球団競合) 最多勝利3回 沢村栄治賞1回 最優秀防御率2回など】

後藤武敏【法政大学―西武(自由獲得枠)】

小池正晃【横浜6位指名】

小山良男【亜細亜大学―JR東日本―中日8位指名】

以下はその他の歴代最強チームの候補である。その他の候補は、強かったと思われる順番ではなく、時代順に記載しています。

その他の候補1:帝京(1989年夏優勝 吉岡等のチーム)

このチームを歴代最強チームの候補に入れる人は少ないであろう。

このチームを歴代最強チームの候補に入れた理由は、吉岡投手が極めて安定していて、甲子園で5試合を戦い失点はわずかに1点だけであった上に、攻撃陣もそれなりにハイレベルであったからである。

この年のチームからプロに行った選手は以下の通りである。

吉岡雄二【巨人3位指名】

鹿野浩司【ロッテ5位指名】

その他の候補2:興南(2010年春夏連覇)

このチームは、ここぞというときに打線がよく繋がり、集中力もあり迫力がありました。

相手チームからすれば、その気迫に圧倒されていたのではないかと思います。

また、島袋投手の投球も安定していました。このチームからプロに行った選手は以下の通りである。

島袋洋奨【中央大―ソフトバンク5位指名】

大城滉二【当時2年 立教大学―オリックス3位指名】

その他の候補3:大阪桐蔭(2012年春夏連覇 藤浪・森等のチーム)

このチームを選んだ理由は、春の選抜では苦しんだ試合もあったのですが、夏の選手権大会では全5試合を戦って、苦戦した試合が1つもなかったという安定感です。

特に投手力は強く、高卒でプロ入り後に即10勝をあげたエースの藤浪は圧巻でしたが、控えの澤田投手も後にプロ入りするほどの投手でした。

打線は圧倒的に打つという感じではありませんでしたが、選手権大会では8本の本塁打を放っており、優勝するに相応しい打力も備えていたと思います。

また、このチームからも3人がプロに行っています。このチームからプロに行った選手は以下の通りである。

藤浪晋太郎【阪神1位指名(4球団競合) 最多奪三振1回など】

森友哉【当時2年 西武1位指名 首位打者1回 最優秀選手1回 ベストナイン2回など】

澤田圭佑【立教大学―オリックス8位指名】

歴代最強ではなく、高校野球の歴史の中で最も名門と呼ぶに相応しい(最も活躍してきた)高校は何処かを知りたい方はこちらへ。

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