かつては、どれだけ素晴らしい選手であっても、日本のプロ野球選手で1億円以上の年俸を貰っている選手はいなかった。しかし、現在においては1億円以上の年俸を貰っている選手は数多くいる。
副収入をも含めて考えると、他の多くのスポーツにおいても、年に1億円以上稼いでいる選手は多くいるであろう。
仮に日本で働いている人の平均年収が500万円だとすると、20倍以上を稼いでいるということになるのだが、これらの1億円以上を稼いでいる人たちは、平均的な人たちの20倍の価値があるのであろうか。無いであろう。
なぜなら、これらの人たちが1億円以上稼ぐために絶対に必要なものとして、持って生まれた才能があるからである。そして、持って生まれた才能は自分の意思では、どうすることも出来ない。
つまり、自分で獲得したものではなく、神を信じる者にすれば神の力によって、神を信じない者にとっては自然の力によって獲得したものなのである。そして、それは持って生まれた容姿の良し悪しと同じである。
人々は、持って生まれた容姿の良い人を、うらやましくは思うが尊敬は抱かない。持って生まれた容姿と、本人の努力や意思や考え方とは関係がないからである。
そうであるからには、スポーツに限らず何であれ、持って生まれた才能が無ければ達成できなかった成果や地位に対しても尊敬を抱くべきではないはずである。
しかし、人々は容姿には尊敬を抱かない一方で、才能に対しては尊敬を抱くというダブルスタンダードを取ってしまったのである。その為に平均所得の20倍以上の収入を得る価値がないのに、それを与えても問題意識を感じずにいるのである。
人間の価値は、そしてそれに基づくべきである収入は、才能のように自分の力で獲得していないものから導かれる成果ではなく、自分の力で獲得したものから導かれる成果で決められなければならない。それは努力である。
単純に努力の量だけではなく、自分の置かれた境遇の中で、正しい選択を真摯に模索したか等の努力の質も含めての努力である。
残念ながら努力は客観的に評価することは出来ないが、1つだけ明確な基準が存在する。それは、平均的な人間に対して3倍以上の努力は出来ないということである。
このことは、次のことを考えると分かるであろう。平均的なサラリーマンの3倍の努力など、量的に考えても質的に考えても、どれだけ優れた人間でも出来ないであろうということである。
平均的なサラリーマンが残業も含めて1日9時間で週5日働いているとすると、その3倍は週135時間であるが、そんなに働くことは誰であれ不可能であろう。週135時間働いた上に、食事の時間や身支度の時間を加えれば、寝る時間すらほとんど確保できないであろう。
また、1億円以上の年収を得ているスポーツ選手の練習等の仕事の質の方が、平均的なサラリーマンの仕事の質よりもかなり高いとしても、その仕事の質が3倍以上になることは決してないであろう。
一度でも正社員として働いたことがある者ならば分かると思うが、現在の平均的なサラリーマンの仕事であっても、仕事の質や密度はそれなりに濃く、その3倍以上の質で働くことなど誰にも出来ないことは明らかだからである。
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上記のことを考えながら、現在の日本のプロ野球選手の年俸を考えてもらいたい。
以下は、2020年における日本プロ野球界の年俸ランキングである。
1 菅野智之(巨人) 6.5億円
2 柳田悠岐(ソフトバンク) 5.7億円
3 坂本勇人(巨人) 5億円
3 山田哲人(ヤクルト) 5億円
3 バレンティン(ソフトバンク) 5億円
3 浅村栄斗(楽天) 5億円
7 森唯斗(ソフトバンク) 4.6億円
8 松田宣浩(ソフトバンク) 4.5億円
8 丸佳浩(巨人) 4.5億円
10 糸井嘉男(阪神) 4億円
そして、1億円以上の年俸の選手が102人です。
かつての王貞治の年俸は、あれだけの素晴らしい選手であったにも関わらず、最高時で8160万円だったが、そのような時代が良かったように思えてならない。
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